ミルトスの木かげで

旧はちことぼぼるの日記

God Bless you!!

まことのいのちを得るために…
……so that they may TAKE HOLD OF THE LIFE THAT IS TRULY LIFE.
(第一テモテ6章18節 写真はミルトスの花)

起きました/『告白』

 日本時間22日の午前1時ごろに起きました。これから、私の長い一日が始まります。(笑)
 アウグスティヌスの『告白』を読み始めた。(第11巻からだけど。)hide&yoko先生やクレオパさんがご推薦くださったように、山田晶訳は予想以上に読みやすい。(ただ、現代文かと思いきや、ところどころで突然「〜したもう」などの言葉遣いが出てきて、オッと思わされるが。)
 読み始めて、ぽろぽろ涙が出てきた。時間論なんて、いかにも小難しい哲学的考察かと思いきや(確かにそうともいえるのだけれど)、アウグスティヌスの一つ一つの思索が、そのまま神様の御前に差し出されていて、哲学的考察もまた、神の偉大さと恵みの告白として主に捧げられている。ああ、彼はこんなふうにして、いつも主と語り合っていたのだな、知性を尽くして主を愛するって、こういうことなんだな、と思わされる。この感動は、ずっと前に、出エジプト記33章でモーセと神様のあまりに親密な関係に衝撃を受け、ひどく心動かされた時の感動に匹敵する。
 たとえば彼は、11巻をこのように始める。
 

 主よ、あなたは永遠を所有しておられるのですから、私が申し上げることを、ご存じないはずはありません。また、時間においておこることがらを、時間に従って見たもうはずもありません。ではなぜ、あなたにむかい、こんなこまごまとしたことをお話し申しあげるのでしょうか。
 もちろん、私の話を通じてはじめて、あなたがそれを知りたもうためではありません。そうではなくて、自分の気持ちとこれを読む人々の気持ちとをあなたのほうに高め、みなが口をそろえて、「偉大なるかな、主は。まことにほむべきかな」と言うためなのです。

 そして、こんなくだりもある。
 

 われをして聞かしめ、理解せしめたまえ。いかにしてあなたは「始めに天地を造りたもうた」のかを。
 このように書き記したのはモーゼです。…(中略)…
 …モーゼもまた、あなたにみたされて真実を語ることができました。どうぞわが罪を許したまえ。あなたは、あなたのしもべであるかの人に、そのことばを語る賜物を与えたもうのですから、私にもまた、その意味を理解する賜物を与えたまえ。

 彼の言葉を読んでいると、私の思索のすべてもまた、こんなふうに神の御前に捧げられた祈りと礼拝になりますようにと願わされる。

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